・・・・・・記載 道場生oka・・・・・・・
合気道の稽古は二人一組の型稽古が中心です。
以前空手をやっていたときも「型」の稽古はやりました。
型は実践では役に立たないのではないか、型が想定している状況が現実的ではない(例えば刀で切られるなど)などの意見がありました。
私も以前はそうだと思っていました。
空手に「平安(ピンアン)の型」というのがあります。
どんな状況でこんな動きを使うのだろうか?実際には使えないのではないかと考えていました。
型は型、組み手は組み手。全く別物と。
これは「型」を「コンビネーション」と混同していたからです。
「コンビネーション」とは
左ジャブ→右ストレート→右ローキック→左ハイキック
などのように2~4個ぐらいの技を一つながりで体に覚えこませる為の練習です。
体がスムーズに技を出せるようになるし、次の攻撃をいちいち考えなくても一連の動作として技が出ます。
つまり、より実践に近いパターンを作る事が良いコンビネーションとなるわけです。
しかし「型」はこれとは違うと思います。
「型」はある能力(身体操作法)を身に付ける為の道しるべであって、その能力が身についてしまえば「型」は必要なくなる。
自転車に乗る練習に例えてみると、
ハンドルを両手で握るり、サドルに座って、ペダルに両足を置き、目線を落とさず前方を見るようにする・・・などが型ですね。
しかし、これですぐ自転車に乗れるようになるわけではありませんね。
自転車に乗るための絶対条件として「バランス」をとる能力が必要です。
でも、どうやってバランスをとってるか、説明できませんよね。
でも、型は説明できる。
「型」はある能力を身に付ける為の道しるべであって、その能力が身についてしまえば「型」は無くなってしまう。
自転車なら、ハンドルから手を離しても乗れるようになるし、サドルに座らなくても乗れますよね。
だから「型」はとにかく忠実に正確に行うことが重要。
その型を自分流に変えてしまう、例えば「実践では右より左に入ったほうが良いから」などで型を変えてしまうと、せっかくその型からいずれ身につくはずだった能力が身につかなくなってしまいます。
これは自転車で言うと、「乗れないので補助輪付けよう」と同じことです。
これだといくら練習しても自転車に乗る能力は身につかないですよね。
「型」の形だけを見て、そのまま実践に当てはめようとすると大事なものを失うことになるのではないでしょうか?
「型」が提供しようとしてくれている本質的な能力は何なのか?を何度も何度も反復練習しながら自問自答していくことが大事なのではないでしょか。
・・・・・・・・と私一個人の勝手な意見ですので読み流してください