岡です。
武術とは
如何に相手を自分の思うがままにコントロールするかだと思っている。
かと言って自分勝手に相手を力任せにコントロールしようとすると、抵抗される。
相手が抵抗できず気持ちよく操られるように出来ればいいのだろう。
「痛ってて!」とならないように技を研究している。
相手を痛めつけてやろうとしていると・・・・
入門したての頃、妻相手に技の練習をしていた。
結局、早々に痛いからイヤだと言われ、それ以来ほとんど練習に付き合ってくれなくなった
。
合気道の稽古(他の武術もそうだと思うが)は一人ではなかなか出来ない。
やはり相手がいて初めて技が成立する。
技をかける人を「取り」、技を受けてくれる人を「受け」という。
受けを取ってくれる人がいるからこそ、技の練習が出来る。
私にはこころよく練習に付き合ってくれる初段の先輩がいる。
私が考えた理屈を「ふんふん、なるほど」と聞いてくれる。
間違ってるところは指摘してくれ、わからないところは一緒になって考えてくれる。
今までも何度も自主練習に付き合ってもらい、色々試させてくれた。
本当にありがたい存在です、感謝感謝です。
合気道養神館創始者、塩田剛三氏の語録 。
-対すれば相和す-
「合気道の心とはなんだ。『和』だ。『対すれば相和す』だ。 ・・・相手を自分として考えれば揉めることはない。相手にとって嫌なことは、 自分にとっても嫌なものじゃ。そこを見据え、互いに人間同士として尊重しあえば何を揉めることがあろう。」
「己を“無”にして、相手と一体となる。一体となってはじめて合気道の技は成り立つ。我と相手、敵と味方など無関係 なのだ。私が植芝先生から習った技もそうだった。相手が動くままにあわせ、自分の技が入る。これだから相手を制する ことができるのだ。」
(「呼吸力で人生に勝つ」講談社より抜粋)
達人と呼ばれた人の考えは奥が深いようだ。
今の私にはその一端しかわからないが・・・・・・
おしまい。
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