合気道は八百長だという輩がいる。 いやいや合気道は “型稽古だから” と言う奴もいる。
プロレス全盛期 ゴールデンタイムにはプロレスのテレビ中継が花盛りだった頃、
レスラーの猪木氏が試合後のインタビューで「俺達のやっている事を八百長と言うのなら、すぐ来てみろ
勝負してやろうじゃーないか・・・」と言った。 興行でありパフォーマンスで言ったのだろうが、
少し大人げない感じだった。 何事でもそうだが、彼等は彼等同士でやる分(試合)には、ある程度の
八百長もあろう・・・・しかし一般人とは、もともと体力や鍛え方も違い 勝てるはずもなく話にもならん。
事程左様に、芸術や他の武道などにしても それぞれの本音と建前があるので全てオープンにする訳
には行くまい。昨年の大相撲などもその良い例と思うがそれを記述する訳にも行かないところだ。
世の中には、暗黙の了解と言う言葉がある様に、腹に収めておかなくてはならぬ事も多々ある。
これも、公開する様な話ではない昔の話であるが、若かりし頃に暴漢に襲われた事がある。
(実は、奴等は少し飲酒していた)その時の暴漢?は、かなりの悲鳴をあげて逃げてくれて事なきを得た。
当時、ちょっと “しめた” だけであったのに、かなりの効果があって我ながらびっくりした。
相手が“ゴメンナサイ”をしてくれて、一人優越感に浸ったものだ。
(自分から仕掛けたのではなかったが威張れた行動ではなかったか・・・・・・)
合気の技は、女性や子供あるいは非力の人でも、正しい方向に捌けば、
八百長ではなく 愛ある偉力を発揮すると言うことだ。
ひの