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合気道広島会 広島北道場ブログ

広島市安佐南区スポーツセンター武道場にて毎週 (月)(木)稽古しています。

植芝盛平と武田惣角の出会い

記載 岡)
今日は合気道の開祖 植芝盛平の話です。
植芝盛平翁が古流柔術、槍術、剣術などに基づいて大正末期から昭和の初めにかけて完成させたのが合気道で、武道としては比較的新しいものになります。
植芝盛平は明治16年(1883年)中規模農家の家に生まれました。当時は近代化への転換期です。
明治維新の変革や苦難に耐えながら、伝統を維持しようとする昔ながらの武術家が多数いた時代でもあります。
ちなみにこの前年、明治15年は柔道の父と言われた嘉納治五郎氏が東京大学を卒業し、講道館を創立、柔道完成への第一歩を踏み出した年であります。
開祖は生まれながらに小さく、弱そうな男の児だったそうです。
植芝家初めての男の子という事もあって両親には非常に大事に育てられ、14~15歳頃まで小柄で痩身だったそうです。
身長は約156センチ。当時でも小さい方だったようです。
日本武術との出会いは、開祖17歳で上京し、そこで起倒流 戸張滝三郎の道場へ入門しました。
そして合気道創始において最も影響を受けたと言われる「大東流柔術」の武田惣角との出会いは、1912年北海道開拓民時代の事です。
武田惣角と言えば武術マニアであれば皆さんご存知のってぐらい有名ですね。
背も低く150センチぐらいだったそうですが、大男をいとも簡単に手玉に取る達人、名人です。
2人は偶然同じ旅館に泊まりあわせ、その際に武田惣角が盛平を一目見て「見どころのある男だ、私の武術を習っては・・」 とすすめました。
大東流柔術の良さに傾倒した盛平は、早速入門し弟子となって教えを受けました。そして4年後の1916年には大東流柔術の免許を武田惣角より受けました。
(参考資料 合気道教範 植芝吉祥丸 著)
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