広島市安佐南区スポーツセンター武道場にて毎週 (月)(木)稽古しています。
ただ勝ち負けの格闘術に囚われない。
武道である合気道の稽古はごく身近にでも置きかえる事ができると痛感する。
仕事、友人知人、家族間、 取りになったり受けたり。
下記の作文は以前、ネット上で見つけ 筆者Kさんが「受け」から合気道を捉えているところが
気に入って収めておいたものです。
既にネット上で公開されておりますが、Kさんにはこのブログに載せる事の承諾をいただいておりません。
Kさんにとりましては同じ道を精進する者として、大きな気持ちでお許しいただけるととても有難いです。
すみません。
「私は受けが好きである。」
広島修道大学合気道部OG kさん
「ともに稽古をする相手がいるから自分もまた稽古することができる。そして取りも受けも同様に練習し、偏らないこと」。
これは、教えていただいた言葉の中で印象に残っているものの一つだ。私は合気道において受けをとることが好きである。言葉の前半部分を思い出す度、私を投げてくださる方々に感謝の気持ちがわいてくる。
私が受けを好きになったのは、まず初期の段階で徹底的に前受身をとらされたことが大きい。入門して一年目、立ち上がれなくなるまでひたすら同じ呼吸投げをかけられ、体で前受身を覚えることができた。そして、大勢の方と稽古する機会に恵まれたことも受けが好きになった理由の一つだ。皆それぞれ試行錯誤し、各々の合気道の色があった。
細いけれども折れそうにない強い動き、陽気な音楽でもきこえてきそうな雰囲気、大きくて深い海の底に抱かれているような安心感・・・取りの導きと自分の体を一つにし、受けは様々な流れに乗ることができる。
しかし言葉の後半部分、偏りがあってはいけない・・・やはり好きな受けを多くやってしまう。自分が主導で動くことはどうしても苦手である。そこで考え方を変えることにした。自分は楽しませもらい、相手には受けを味あわせてあげられないのはやはり申し訳ない。もっと技を磨かねばならない。今まで私を投げてくれた方への感謝の気持ちを、自分が取りをすることで返していこう。
取りと受け、偏りなく稽古すること、相手に感謝する心を忘れないこと。今後もこのことを心にとめて稽古を続けたい。そして、稽古ができる体、けがをしにくい柔軟性、最低限の筋力、体力を維持していこう。稽古ができる状況をつくってくれる周囲の方への感謝と、稽古ができる喜びと幸せをかみしめつつ、今後も精進していきたい。
人それぞれだと思いますが、こんなふうに感じながら、考えながら稽古をされている方もおられるんですね。
北道場入門したての頃、『受けは取りの技にできるだけ、ついていくように。』と私の師範が言っておられたのを思い出します。
やまずみ
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